四谷コタン


今日、ピアノの林くんと四谷のライブハウスに行って、
知人のライブを見てきたのね。

ちょっと早く四谷についちゃったもんだから、
「寄りたいところがあるから付き合って!」って言って、
たずねたのがこの「四谷コタン」。

ここは19の時にオレが初めてレギュラー出演したライブ喫茶で、
当時は都内でも「生ギターで歌うならここ」っていう名所だった。
海援隊なんかも出てて、出演者は皆ファミリーって感じだったね。

ひとりでギター1本持ってオーディション受けたんだけど、
もう怖くて怖くてその日はまさに無我夢中で「ミニカーを壊した日」をやった。

よくわかんないうちにギリギリ受かってレギュラーになったんだけど、
そこを張ってる連中がすごくてずいぶん尻込みしたなぁ。
でも「は?全然ビビッてませんけど」みたいな態度で突っ張ってた。(笑)

ここの店長は木村さんって言って「何でもいいからでかい声出せ!」
っていつも出演者に言うんだけど参考にならないという憎めない人だった!(笑)

ここで勝ち上がるために「星の傘」とか「ケンカに強かったら」とか
「僕と僕の約束」といった今でも歌う曲を作って、
とにかくギターを思いっきりかき鳴らして「叫ぶ」みたいな日々だったね。
そうこうしてるうちにオレもトップ集団にまざれるようになった。

当時、携帯もパソコンもない時代でメディアが乏しかったでしょ?
そんな中「ぴあ」に毎月名前が載るのよ。「志村圭一郎」って。
今考えたら別になんだけど、当時は本屋でずっとそのページを見ながら、
「凄すぎる。ついにオレもここまで来てしまった!」ってマジで感無量だったもん。

今日、窓から中をのぞいたら木村さんがいてセッティングしてて、
店の外観も当時のままで、生々しく約20年前に想いが引き寄せられました。

オレは今でも何ひとつ変わりません。

ただ、当時店の前で泥酔して吐いて倒れるのが恒例だった志村を
常に介抱してくれた出演者仲間諸君、あの時はお世話になりました!!(笑)


 
これなんだけどさぁ


わかるかな?これ。福島の避難者が差別を受けてる。
しかも相次いでるんだって。

世間はこれを風評被害なんて簡単に言ってくれるなよ。

福島県民はお断りの旅館があったり、
「放射能うつるから近寄るな」っていわれたり・・・

「国が・・」とか「正確な情報が・・」とか、関係ないよ。
単なる人間性の問題だ。

このサイトのトップページは「靴底」が描かれてるよね。
実はここに大事なメッセージが託されてるの。

「靴底」は踏みにじる為じゃなく「今日」という足跡を創るモノ。

そうでしょ?そうだよね?
人は人を踏みにじる為に靴を履いてる訳じゃない。

今回の心ない奴らには罵倒する気力すらわかない。

くやしくて眠れません。


 
一滴の話


一滴っていうのはバカにならない。

家の水道の蛇口系がイカれて水が出っぱなしになり、
右往左往しながら暫定的に対処してるうちに、
なんとか止まってくれたんだけど、
「ポタッ、ポタッ」という雫までは止まらなかったのね。

しょうがないってことでヤカンを置いて、
溜まったらポットにでも移そうと考えたわけ。

何時間くらいかなぁ?しばらくして見てみたら、
なんとなんとヤカンは満杯で水があふれてたよ。

一日くらいで満杯になるのかな?と思ってたらとんでもない!
え?っていうくらいの早さで水は溜まってた。

一滴の確実性にちょっと感動したのね!

商売で言えば「1円」、夢で言えば「コツコツ」・・・
理屈はわかってるんだけど、なかなかおざなりになる部分だよね。

でも考えてみたら全ては「一滴の集合体」なんだね。

あんまり遠くばっかり見てないで「今の一滴」を確実に積み重ねれば、
知らず知らず「出来てた」って話になるんだって、しみじみ思ったねぇ。


 
ラーメン北斗


毎日メシ食う中で「うますぎる・・」と唸ってしまう事って少ないよねぇ?

高校時代、毎日帰りに寄った中華屋はまさに奇跡的なうまさだったのね。
通ってるうちに「ウチでバイトしない?」と親父さんから誘われ、
16歳の時、初めて本格的にバイトしたのが写真の「ラーメン北斗」!

皿洗いから始まって、とにかくスピードと確実さが勝負だったね。

親父さんと綺麗な奥さんとオレの3人で店を回しながら、
出前も良く行ったんだけど、時代が時代だから住所と地図で行くわけ!

チャリにオカモチつけて府中の町並みをカラカラ走らせるんだよね、
いっこうに見つからなくてラーメン伸びちゃってあせったり、
ピンポンして開いたドアがヤクザの事務所で、完全にフリーズしたり・・・

3億円事件で有名な府中警察の近くだったから署にも良く出前持ってったなぁ。
刑事さんに「頑張ってる?」なんて言われると妙にうれしかったよ!
なんか「社会で生きてるなぁオレ・・・」みたいな(笑)。

親父さんは小さい頃に両親を亡くし、妹を親代わりに育てながら、
手に職をつけていった人だから、厳しいんだけどすごく優しかった。
味に対するこだわりもすごかったし、お客さんの気持ちをいつも考えてたね。

仕事が終わると必ず好きなもん食わせてくれて、これが激烈にうまかった。
まだ高校生だったから、たまにふてくされたりしてずいぶん迷惑もかけたなぁ。

辞めるとき、大好物の焼肉ラーメンを作ってくれて話をしてくれた。
「志村君、人の嫌がることを率先してやる男になること。見てる人は見てるよ。」
焼肉ラーメン食いながら泣きそうになってて、でもカッコ悪いから誤魔化して・・

あれから20年以上過ぎて、ラーメン北斗はもうありません。
オレもずっと行ってなかったけど、ことあるごとに思い出すんだよねぇ。
いまだに「そうだよなぁ・・」と思うことをいっぱい教えてもらった。

何があったのかわからないけど、なんで世の中は「北斗」を奪っちゃったの?

でも、考えてみると北斗で学んだ事はずっと大切にしてきた気がする。
だからオレは死んでも性根のまがったヤツにはならない。北斗イズムでいく。

「志村君、ギター弾くんだろ?コンサートあったら呼んでくれよな!」
北斗の親父さんの優しい声が今でもはっきりと聞こえてきます。


 
テレビ報道に告ぐ

テレビ各局、特に民放に「よこしま」が見える。
本当の力を発揮する時が初めて来てるのはないだろうか。
テレビは人々の意識をもコントロールしてしまう
ある意味こわい、ある意味強い媒体だ。

福島原発の話は「関心事」ではない。今、起こっている「出来事」だ。
せっかく専門家がこぞってるんだから、理科みたく仕組みを説明してないで、
実際にどうすれば良いのか、我々は何を理解するべきなのかをどうか教えて下さい。
感情的にメカニズムの話ばかりされても現地にも我々にも何の足しにもならない。

「総理の会見はなってない」「東電は歯切れが悪い」ではなくて、
伝えるプロだったら読解して「どうするべきか」や「安全の為に」を呼びかけて欲しい。

フリップ使ってネタ隠して「ジャン」とか音流してめくって、
「ここが矛盾してます、なってませんね」って、まずいよ、今。
そこのレポーターも瓦礫に乗って立つな。下に人が埋もれてるでしょうが。

NHKを軸に各局で担当被災地を分けるなりして被災者達の深い目線を下さい。

青森県知事が「一滴の燃料が命を左右する」と訴えてた。
彼は眼をむき出しにして震えながら経済産業省に申し出ていた。
それを見た僕は「ハッ」とする。人間の本気を見た。
僕は「燃料や物資を買い占めない」が自分に出来る支援そのものなんだと気づく。

大事なのはそういう事だと思う。

テレビは、この「今」莫大な電力を使って放映することの意味を踏まえ、
人々の意識をリード出来る立場を誇りとし、どうか本気で向き合って下さい。

静岡で震度6強の得体の知れない地震、茨城、千葉でさっきも5弱の余震、
日本はまだまだ被災の「最中」だ。

テレビがその驚異的な実力を今こそ発揮してもらえたら、ありがたいです。


 
列島大震災を受けて

災害、犠牲、痛み、現実、恐怖、困難、
政府、報道、救済、人間、本気、望み・・・

日本がひとつになる時がきたんだ。


 
VIPな来賓


このお方は男の中の男、一喜。
先日オレの滞在するマンションにいらっしゃった。

彼は非常に厳しいお方で、
オレの携帯やテレビのリモコンなどあらゆるものを取り上げ、
床に叩きつけながらご満悦だった・・・

っていうか!!

オレの住む西9という所からほど近い「円山公園」というところに
友人家族がいて、遊びに来たんだよね!
そのあと一喜と「すし」食いに行ったよ!

うまかったね~!

PS. 彼はずっと「ポテトフライ」で決めていらっしゃった!


 
北海道上陸


今、またオレは札幌にいます!!
なんとなんと超高所恐怖症のオレが飛行機に乗った!

まず、羽田で飛び立つ飛行機を何機も見学。
「いやいや、ないない」と感想を述べつつ搭乗。
離陸の際は隣の連れ男の腕にしがみつき「やばいやばい」を連呼。

連れの男>「オレだって怖いもん・・」
オレ>「は?え?君いま何て言った?」

頼りにしてたオレの気持ちは皮肉にも裏切られ、
それでもなんとかオレの念力で新千歳空港に無事到着。

そして「札幌ラーメン食おうぜ~!」
って言ってピュと入ったラーメン屋は「旭川しょうゆラーメン」。
「・・・・まぁまぁまぁ」みたいな。

札幌は牙を剥くような吹雪で、
「さすが3月の札幌は尋常じゃないねぇ~」かなんか言ってたら、
すれ違う地元民たちがそろって「ちょつとこの雪やばくない?」だって。

何でオレが来たとたんに地元もびっくりの吹雪になんの?

と言うことで北の国からお送りしました!
出来るだけ更新するからね!チェックよろしくね!!


 
久々のセッション


今日は27日(日)のローランドのコンサートに出演の為、
RONINのギタリスト、高松昭彦と久々の音合わせ!

やっぱり音楽は合わせてナンボっていう気がしたね!

もちろん基本はひとりでやってるし、
それはある種「戦い」だから、意味深いんだけど、
吐き出された音が衝突し融合してゆく様は何とも言えなくいいね!

今回は2曲オレの曲をやるんだけど、
メッセージとしての爪あとをバシッと残せればと思ってます!

状況や心境はまた追って報告するからね!
ヨロシクぅ~!!


 
70年代フォークシンガー


ではありません。僕です。

20才そこそこの時はこんなんでした。

「ミニカーを壊した日」という曲が出来て、
そいつを引っさげてライブハウスに進出した頃。

17年が過ぎて・・・今のほうが本気です。